10年の月日がもたらしたもの

一月もはや終わりを迎える。

 

ここのところは寒さがいっそう身に染みるようだ。

 

北風に揺れる樹々の枝は、

冷たくかたくなに見えるが、

その中に春の気配を潜めているのを感じる。

 

”耐える”から”待つ”へ

確かに希望へとつながっている大切な時間だ。

 

やがて巡り会う希望は、

じっと待つことでさらにその色合いを増す。

 

喜びはいつも悲しみの分だけ大きくなるもの

 

****

このところ、私のところには、

こんな音楽家がたくさん訪れるようになった。

 

「演奏を変えたいんです!これではいけないと思うから、身体のレッスンをお願いします!!」

 

「演奏している映像を見て、体幹が安定していないから余分な動きをしているのだと思いました。

そこからやりたいと思います。だからピラティスをもう一度一から教えて下さい。」

 

「音を変えたい!表現がもっとできると思う。身体の使い方を教えていただきたいです。」

 

「これまで自分が学んできて一体どれだけ身体のことが演奏に影響するかがよくわかりました。こんなに大切なことなのに、これまで気がつかずに演奏していたんだ・・・!と改めて気がつきました。」

 

「毎回自分のレッスンで、身体のことを必ず言うようにしてます。

生徒の音・演奏の変化が明らかです!」

 

 

音楽家のためのピラティス(Yuko Kojima 創設)

インストラクター資格を取るために熱心に勉強している人には、

その熱意に頭が下がる。

(「音のアンバサダー」※2022年4月〜演奏と身体研究所MEI指導者養成講座

salon-k.net/mei/ )

 

しかも試験に無事合格した人は、「これを新たなスタートにしてこれからも勉強して行きます!」

と笑顔で伝えてくれる。

なんと嬉しいことかと思う。

 

*****

《自分の演奏が変わること》

《生徒の音や演奏する喜びが確実に良い方向に変わっていること》

をこの10年間の取り組みで、繰り返し繰り返し実感して下さっている。

 

本当に・・・喜ばしいことなのである。

******

 

10年の月日がもたらしたものは、

音楽家の皆さまの『内発的動機づけ』だ。

 

言われてするのではない。

 

自ら、

ピラティスを学んで

”演奏する身体を磨きたい”

 

 ”身体感覚をつけたい”

 

  ”優れた指導をしたい”

 

”音を変えたい”

 

”演奏をもう一度見直したい!!」

 

とレッスンのお願いに来られるのである。

 

******

 

身体全体への理論立てた丁寧な取り組みを本当に実践すること

 

そこには、常に目指すものとして《音楽》が存在していること

*****

この2つのことが、私が10年の取り組みで大切にしてきた『核』となる部分だ。

 

最初は、とにかく「演奏を向上させるために、身体に視点をおいた取り組みが非常に有効ですよ」

と言うことをわかっていただくための数年間であったと思う。

 

身体調整を導入した演奏レッスンをとにかく繰り返した。

 

幸いにして、大変に真摯な受講生ピアニスト・声楽家・ピアノ指導者に恵まれたことは

大きいことだった。

 

仲間で開く年に一回のコンサートでは、

その佇まいから演奏の細部に到るまで

目に見えて着々と充実の兆しが見られた。

 

またコンクールやオーディションを頻繁に受ける受講生ピアニストは、

審査員の評価の文面で、その焦点が明らかに変わってきたと言う。

表現や音色のことを中心に評価されている。

言うまでもなく、良い成績を残されるようになっていることも嬉しいことだ。

 

10年の月日をかけて創られたものは、

やはり尊い。

少なくとも私には、伝えたかったことを受け止めてもらえた喜びが

身体の奥底から湧き出るようだ。

本当に嬉しいことなのである。

 

時間をかけた分だけ積み重ねられ生まれた喜び

 

やはり何事も「信念なのだ」という尊い教えが与えられた気がしている。

 

今では、私がレッスンや講座で出会ってきた音楽家には

「”身体の取り組みを行うこと”は必要不可欠な分野」ということが

当たり前のこととして認識されてきている。

 

その前提としてあるのは、

《演奏は、

決してうわべではなく、

思想や精神をともない、

受け身ではなく自発的なものとしてなされるものになって

初めて芸術と言えるものになる》

このことが共通認識としてあること。

 

演奏の最終目標地点がそこから先にないと、

身体を演奏に繋げる限りなく可能性に満ちたこの道も、

 

(単にストレッチとか、若返りとかといった意味ではなく)

真の音を見つけるためにこんなに役に立ってくれるということに気が付かない。

 

だからこそのこの10年間であったと思う。

 

そして今、その重要性をよく分かった上で、

「何が学びたいか?」

「何を学ぶべきなのか?」

「何をしたら良いのか?」

「どこから切り込んでみたいか?」

という明確なビジョンを持って、扉を叩いて下さる。

 

私が15年前に出会った”Pilates ピラティス”を喜んで学んで下さる。

 

素晴らしい音楽は、常に遥か彼方にある。

だからこそ、私たちは音楽に出会えていることを

これほどまでに尊く思うのではないかしら

 

 

私の場合は、

この音楽とさらに言葉への感動がいつも織り合わさって

目の前に渦巻いている。

 

音を紡ぐ

声を紡ぐ

言葉を紡ぐ

息を紡ぐ

身体を通す

 

どれも限りない魅力に満ちている。

 

明日、月に一回ルーテル教会で行ってきた「音楽家のための身体調整法 ”演奏研究クラス”」は

100回目を迎える。

 

言い尽くせない感謝を・・・

仲間にお伝えしたいと思っている。170707-07

 

Yoko Kojima