演奏は、一瞬にして、心と身体が総合的な次元で無意識に作用しあって行われる、
高度で精緻なものです。
例えば、
「ここの筋肉をこう使ったらこんな音が出ます」とか、
「ここの筋肉を意識したらテクニックがアップします」とか、
それはほんの一部のことであり、
演奏とは、そのように一面的なものではありませんし、そんなに簡単なものではないでしょう。
どんな高度なロボットをしてもなし得ることができないのが演奏です。
何度も申し上げているように、
「演奏は、一瞬にして、心と身体が総合的な次元で無意識に作用しあって行われる、
高度で精緻なもの」
最終的には、「100パーセント音楽に集中できて演奏できる」ことが、目指したい事です。
そのために、一瞬にして働く身体と心のセンサーをとにかく可能な限り磨いていくことこそ、
私たちのやるべき事であり、それが『演奏を練っていく』という事ではないでしょうか?
そしてそれは、幸せな喜びを伴う営みです。
その営みの一つに、身体への取り組みがあります。
身体が生き生きとしてくると、具体的に演奏技術がどんどん変化して行きます。
体の芯ができるから、いろいろな技を行うことができるようになります。
私の感覚では、演奏中に
体の芯だけで演奏している感覚になることが時々あります。
この状態がそうと言えるかどうかは分かりませんが、
いわゆる、演奏のコレオグラフィー
(H.Pのボディメソッドのところでもお話ししています)
ができてくると、思考と身体の動きが一体化してきます。
そこに至る時間は長くとも、
そのような演奏ができることは奏者にとって本当に幸せなことですし、
何より、聴き手の心に、
技術ではなく、
『本当の音楽』が伝わるのではないでしょうか。
さて、前の投稿のお話の続きを少しお話ししましょう。
かれこれ5年間くらい通って下さっているピアニスト&ピアノ指導者の方のお話です。
音楽をとても愛していて、感じる心、音楽性も豊かです。
響きの色合いや空間の感じ方
私のレッスンでは非常に重要な、
演奏のクオリティを左右するこれらのことにも、柔軟なセンサーを持ち、
引き出すものを沢山お持ちでしたが、
初めてお会いした時は、
何か安定しない演奏でした。
その時は「椅子の高さにずっと悩んでいるんです」という事でした。
その後、身体のレッスンと演奏のレッスンを継続して積み重ねて来られましたが、
今では、このように仰います。
「以前は、座っていても何故か腰がグラグラして、足も震えていました。
最近はいつも安定して座れてますし、足が震えるなんてことは、もう全く無くなりました。
いつも安心して弾けます。」
ここ数年は目に見えて演奏が良くなってきていることは、言うまでもありません。
音質・音の響きが断然良くなり、テクニカルな戸惑いも減少し、演奏する姿も安定し、
元々持っている音楽性がどんどん引き出されて来ています。
もちろん彼女の努力は言うまでもありませんが、
ピラティスを中心とした身体アプローチによって、
骨盤の安定に伴う姿勢の改善がなされたことと、
身体の中心の使い方を身に付けて来られているからに他なりません。
最初に仰っていた「椅子の高さ」についてを問題にして来た訳ではなく、
彼女の身体が変わったことによって、そのことは自然に解決していたのです。
そしてそんな姿勢や座り方などと言った表面的な事ではなく、
何より演奏がぐっと深まって来ていることは、本当に嬉しいことなのです。
現在は、さらに自分の可能性を広げていかれる姿にエールを送っています。
ピラティスを中心としたアプローチが、演奏技術を明確に変えた一つの例としてお話ししました。
打鍵やペダリング、音色の引き出しを増やすためにも、
そのほか言い尽くせないほどの多くの演奏技術を向上させるために、
ダイレクトに影響します。
私のレッスンでは、それらを総合的に見て
演奏につなげる為のアドヴァイスをさせていただいています。
身体への取り組み、ピラティスを取り入れたこの取り組みは、
精神的に落ち着いて演奏できることや、演奏技術を磨き、表現を豊かにすることに
直接的に結びついていく事なのです。
また折に触れ、こちらにもご紹介させていただきます。
最後に、「演奏技術」と言う言葉は、個人的には、断片的なものに感じます。
テクニックは大切ですが、その言葉が全てではありません。
演奏はもっと様々なものからできています。
ほとばしる情熱を自分の思う音にできて初めてその人の演奏となります。
そして心と身体を磨くことは、その人の舞台での存在感すらも変えてしまいます。
Yuko Kojima