エッセイ 『歌曲をあなたに 』〜歌曲演奏の醍醐味〜

〜歌曲演奏の醍醐味〜

歌曲演奏の醍醐味は、煌めく星の数ほど豊富にあるもの。

今回はその中から、”詩の朗読”をめぐるエッセイ です。

 

<朗読の大切さ>

歌曲に触れる醍醐味とは?

「詩」の世界が「音」という衣をまとうことによって、その表象は具現化され、さらに新たなる広がりや色合いを帯び、それは個々の思想や思い出と結びつき、心に深く揺らぎをもたらすもの・・・・歌曲とはそのようなものだと思うのです。

詩というものはすでに“音”を持っています。それは、母国語であるならば私たちが慣れ親しんだ言語であり、その言葉で思考がなされる“言葉という音”。それが他国語であるならば、異なる世界観を感じられるもので、その響きに慣れるまでは時間のかかるものです。ですが不思議なことに、歌曲という形で演奏されるのを聴くと、まだ見ぬ異国の朝の風景を目にしているかのように、たとえ全ての言葉がすんなりと入って来なくとも、私達は何がしかの揺さぶりを得るものです。それはなぜなのでしょうか?実はそれこそが、歌曲の醍醐味なのです。

明らかに自国語とは異なる母音の響きであったり、子音の存在感、息の流れ方、抑揚やイントネーション。また、その詩の根底に流れている物語や思想のテーマにも、気づけばそんな考え方もあるのかとはっとさせられることもあります。それらが、音と結びついて、文化の違いを超えて心にすうっと入ってくる。生命の喜び、自然への敬意、愛することの尊さ、人間という存在、時の流れ、それらは、まさに言葉が“音”という衣を纏うことによってもたらされる、命の琴線に触れるものではないでしょうか。そして、言うまでもなくそこには、詩と音楽に向き合った作曲家達の優れた芸術的な創造があったからこそ、なのです。

 

歌曲に触れることで、母国語の詩にあらためて向き合い、描かれていることを見出し、そこに浸れるのは大きな喜びです。歌曲の演奏においては、むしろ自国語であるがゆえに、その書かれている内容の奥深さや真の心の美しさに気づくことが後回しになってしまっていることもあります。一方、他国語の詩は、語意を調べ、理解しようとする視点を初めから持って接しますので、歌曲に触れることは“他国の文化”に生に触れるような感があります。そこがまた歌曲を演奏したり、聴いたりするときの喜びでもあります。

この世には、数えきれないほどの「芸術歌曲」と言われる作品が遺されています。歌曲に触れ、作曲家が詩に思いを馳せ音に託したまさに今も生き続けている「言葉と音の世界」を、堪能しない手はありません、

 

歌曲演奏においての朗読の大切さは、その詩の意味を深く理解することはもちろん、その詩に描かれている心情が自分の言葉として伝えられるようになるためと言うことにあります。そして、それだけではなく、元来言葉の持つ“音”、“抑揚”や“流れ”、さらに響きの“明暗”、一つのフレーズの“緊張と緩和”なども、詩を実際に朗読すると味わうことができます。

他国語の場合は、さらにその要素は増えるでしょう。“母音の色合い”、“一つの単語の中でのスピード感”、“文章の中で強調したいところ”や、“フレーズの長さ”など。詩を朗読すると気がつくことは数えきれないほど沢山あるわけです。

 

<歌曲を演奏するときに心がけたいこと>

 そのような理由で、歌曲演奏において朗読は大変に重要であり、朗読に取り組むことで詩に付けられたその音楽の解釈がより望ましい方向に向かうのは言うまでもない事です。

特にこの回では、日本の歌曲を取り上げています。詩の内容を的確に理解し、その詩にこめられている思いや洗練された言葉の芸術の奥深さを味わい知ることは、やはり歌曲を演奏するときに心がけたいことなのです。詩を味わうことは、喜びですから。


<演奏するからこそ味わえること>

詩の朗詠だけでは湧き上がらなかった感情が、演奏すると自然に湧き上がってくるということは、皆様にもご体験があるようによくあることです。これはまさしく演奏に挑戦してみないとわからない“喜び”・・・です。『言葉の自然な抑揚や、詩の奥底に秘められた思い』。それらをどうやって音にするか?どんなピアノ伴奏をつけるのか?どんなリズムに?いかなる響きの曲にするのか?歌とピアノの関係はどのように?前奏はどうするのか?後奏のピアノは何を語る?歌曲の作曲には一体どれだけの道がそこに可能性としてあることでしょう。かの山田耕筰は、「声楽作品を創作するのは器楽作品ほど容易ではない」と言っていたそうです。「真実の芸術的歌謡とは文字の形をとり詩となって表現せられた此の詩想の核心を音で現すものでなければならない」(『詩と音楽』第二巻1923)歌曲集に至っては、詩集からの詩の抜粋、その並べ方に至るまで、制作過程としてあるわけです。もちろん一曲の抜粋でも演奏する歌曲もありますが、チクルスの魅力は通して演奏したときに初めて分かります。それぞれの作曲家がそれこそ命を削って完成させた歌曲作品は、“人が生きること”を考えさせてくれる普遍的な価値あるものだと思います。


<言葉の響き>

言葉や心情が“響き”になる瞬間・・・それは、歌曲が演奏される瞬間です。音となって空間に響きが広がっていく時です。言葉には、感情に裏付けされた響きがあります。例えば、同じことばを歌うときも、異なる曲ではその響きが異なるでしょう。朗読をする時は、その言葉に感情から生まれた響きをのせて詠むようにするとさらに詩の内容を深く学ぶことができます。一つの言葉を丁寧に思い、発音する。その営みは、日々の生活で感じるささやかなことに光をあててくれ、行いや感情を大切に生きたいと思わせてくれるものです。

文責

小島裕子

2024/6/15 「歌曲の魅力」講座第3回目 〜歌曲演奏の醍醐味〜レジュメより