先日、
あるピアニストのパーソナルレッスンをした後に、
こんな嬉しいご感想を頂きました。
その日は、ショパン作曲 スケルツオ第4番の演奏レッスンでした。
『先日もありがとうございました♪
早速アドバイスを頂いた事をもとに練習をはじめました。
指や手のひらの意識、
それを思うようにするためには身体の意識が絶対に不可欠だと感じます。
少しずつでも自分の演奏表現に変化を感じた時の嬉しさは、
ピアノを弾く喜びに繋がっています。』
特に最後の文章は本当に嬉しいです。
演奏レッスンで話が及んだのは、
スケルツオ第4番で何度も出てくるパッセージの弾き方についてです。
少し詳しい内容についてお話ししますと、
元来、私達の手は、「閉じる」という方向には自然に働く性格を持っています。
つまり「手を開いたり、閉じたりする」ことは、快適さや安心を伴うものですが、
指を上げたり、下げたりするのは、手にとって決してやり易いことではありません。
ですが、無意識に指を鍵盤から離したり、
指を一本づつ上下に動かすことに意識が行き過ぎて、
腕や手に不必要な負担をかけてしまっていることが、
レッスンでも多く見られます。
しかも、
「動かない指に対して自分の身体の一部であるにもかかわらず決して優しくはない思い」
を抱きながら・・・です。
それから、もう一つとても大切なことだと思うこと、
それは、私達は《重力》の存在を時に忘れてしまっています。
レッスンで「手をそのままにして」・・・というと、
その途端に音が響き始めるのは何故なのでしょうか?
重力に逆らうことは、また効率的な動きでもありません。
筋肉達が、どうしたいのか?
筋肉や腱が、どうなろうとしているのか?
自分の身体を使って演奏している以上、
私達はこのような自分の体からのサインを無視してはいけないはずです。
さて、私が先ほどのピアニストの感想の言葉で素晴らしいと思うのは、
「手や指の意識、それを思うには身体の意識が絶対に不可欠だと感じる」
と述べているところです。
熱心な彼女とは、5年間以上に渡り一緒に勉強していますが、
手や指だけでなく、
音楽家のためのピラティスをベースに身体全体の調整をすることによって
身体へのセンサーが働き、
身体の”感”が磨かれていることは、本当に嬉しく思います。
他にも、セミナーや講座で共に学ぶ仲間には、
何より各自の熱心な取り組みのおかげで、
様々な良い変化が見られており、
そのことは私に大きな喜びを与えてくれています。
皆様にも、
この「身体への丁寧で積極的な取り組みがもたらす良い変化」をぜひ体験して頂き、
自分の引き出しに加えて頂きたいと願っています。