<Pilates for Music テキスト あとがき>から

こんにちは

お元気でお過ごしでしょうか?

しばらくでございました。

演奏と身体 研究所MEIの<音のアンバサダー>指導者養成講座は、

いよいよこの10月から、

第3期開講を迎えることとなりました。

第1期、第2期を修了した「音のアンバサダー」の皆様は、

引き続き研鑽を積みながら、

講座やレッスンなどご自分のフィールドで、活躍していらっしゃいます。

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2019年に書き上げたPIlates for Musicのテキストの最後のページにある<あとがき>

読み返してみると、

あの時の私の気持ちが蘇ってくるようです。

どこにもない道でしたが、こうして一歩ずつ歩みを進めてきて良かったと思っています。

それは何よりも、これまで出会った方々の心からの『笑顔』に触れた時、特に感じます。

皆様、ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願い致します。

ここにその<あとがき>を掲載させていただきます。

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〜あとがき〜

そこに、人と音楽が存在する。それぞれが崇高なエネルギーに満ちている。私たちは何をするのか?何をするべきなのか?

演奏するということは、芸術である音楽を魂に写し取り、美的なものとして舞台で創造しなければならない。それはいつも生に満ちたものであり、真実からかけ離れてはいけない。そして、己というその人の内側を通して、息のように、外へと表現されなくてはならない。

 

私達の内側には無限の可能性が宿っている。常に、もっと深めることのできる可能性が、外ではなく、自分の「身体」と「思考」とにある。それに気づくことが出来ると、演奏を通して表現できるものの果てしない広がりを求めていくことが限りなく楽しいことになってくる。それこそが、生きた音楽。真実を求める生身の音楽は、聴く者の魂を揺さぶる。だから、演奏する者は、その探求を常に喜びをもって行うのである。演奏者として最善を尽くすために、身体への感謝と音楽への憧れを片時も忘れることなく、一生終わることのない探求を続けていきたいものである。

 

「求めていることの幸せ」というのは、「得られないことの嘆き」よりも何倍も大きいことである。得られないことを嘆くのではなく、求めていることが大切なのだ。自分をすり減らしていくような“外と比べること”ではなく、“自分の内面にひたすら向き合うこと”は、自分の中にある「花」に気づくことになる。諦めてはいけない。常に現在が進行中なのだから。

 

『生きていることは自分に与えられたものを花開かせること』

この世に一人として同じ人は存在しない。自分の花を育て、咲かせられるのは自分しかいない。

芸術の世界と自分との間にクリスタルの鏡を持つこと、途方もなく長い時間をかけることになったり、あるいは一瞬にして鏡が見えてくることもあるだろう。けれども、そもそもそこに向かっていなければ、どれだけ長い間苦労しても本当の鏡は見えて来ない。

 

懸命に生きることのみが一人一人の命の使命であり、命をつなぐとはその姿を怠らず実現させること。

芸術は歴史に遺されている。人の命はいつか終わるが、芸術は年月に彩られ、人の真の想いによってその味わいを増し、真の芸術だけが時空を超えて存在していく。

「芸術の永遠」がそこにある。それには、私達はただただ「敬う心」しかないのである。敬いの心を持ち、心と精神と肉体を使いこなし、自分というものに与えられた可能性を無駄にしないこと。そして、しなやかな強さ、静けさ、柔らかな波長と放つ輝き、柔軟に変わる色彩、生を繰り返す息遣いを限りなく感じる《自然の美しさ》に学ぶことである。

Pilates for Musicが、今後多くの音楽家に役立っていくことを心から願って、このテキストを閉じることにする。                      

 Y.K MUSIC AND BODY METHOD小島裕子